最低賃金と目安制度~賃金決定の論点と経済学的な視点

最低賃金と目安制度:分かりやすい論点と経済学的な視点

1. 最低賃金とは?その目的と目安制度

 最低賃金制度とは、国が「最低賃金法」に基づいて、使用者が労働者に支払うべき賃金の最低限度を定めたものです。もし労働者と使用者間で最低賃金以下の賃金が合意されても、その部分は法律によって無効とされ、最低賃金額と同額とみなされます。違反した使用者には罰則が科せられます。

 最低賃金には、大きく分けて二つの種類があります。

  • (1)地域別最低賃金
     各都道府県に一つずつ定められ、その地域で働く全ての労働者と使用者に適用されます。産業や職種、雇用形態(パート、アルバイト、臨時、嘱託など)に関わらず適用されます。
  • (2)特定最低賃金
     特定の産業に従事する労働者に対して、地域別最低賃金よりも高い水準で設定されることがあります。両方が適用される場合は、高い方の金額が優先されます。

 最低賃金の決定は、「最低賃金審議会」(公益代表、労働者代表、使用者代表が同数で構成)で行われます。この審議会では、主に以下の3つの要素が総合的に考慮されます。

  1. 労働者の生計費:労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営めるよう配慮し、生活保護に係る施策との整合性も考慮されます。
  2. 労働者の賃金
  3. 通常の事業の賃金支払能力

 全国的な整合性を図るため、「目安制度」が導入されています。中央最低賃金審議会が毎年、各都道府県の経済実態を示す指標(所得・消費、給与、企業経営に関する合計19指標)を基にランク分けし、引き上げ額の目安を提示します。
 地方最低賃金審議会はこれを参考にしつつ、地域の実情を踏まえて審議し、都道府県労働局長が最終的に決定します。この目安は、地方審議会を拘束するものではないとされています。

 政府は2020年代に全国加重平均を時給1,500円とすることを目指しており、2025年度の目安は過去最高の63円引き上げ(全国加重平均1,118円)となるなど、引き上げの動きが加速しています。

2. 最低賃金引き上げが「貧困対策」として常に有効であるとは限らない経済学的な視点

 最低賃金の引き上げは、低所得者の生活向上に直接寄与するように見えますが、経済学的な視点からは、必ずしも「貧困対策」として効果的とは限らないという「不都合な真実」が指摘されています。

 経済学的には、最低賃金の機能として「貧困の改善」「賃上げ」「不完全競争による不当に低い賃金の是正」の3つが挙げられますが、貧困対策としての有効性には限界があると考えられています。

(1)最低賃金で働く人の実態

 最も重要な点は、最低賃金で働いている人が、必ずしも「貧困家庭の家計を支える稼ぎ手」ではないという事実です。ある分析によると、最低賃金で働いている人の約半数は世帯主ではなく、世帯年収500万円以上の中所得以上の家庭に属する非世帯主でした。
 具体的には、夫の収入で家計が成り立っている世帯のパートタイムの既婚女性や、学生のアルバイトが典型的な例として挙げられます。このため、最低賃金引き上げは「低所得世帯の救済」というよりも、「中所得世帯の補助的就労者の賃上げ」として作用しやすい傾向があるのです。

 これは、最低賃金政策が「貧困層を狙い撃ちできない」という構造的限界を抱えていることを示唆しています。

(2)雇用の減少と事業所の退出

 最低賃金が上昇すると、企業は人件費の増加に直面します。企業がこのコスト増加を吸収できない場合、労働需要を減らす可能性があり、結果として労働者が「雇用の減少」という形でコストを負担することになります。特に、労働市場が競争的である場合、最低賃金が労働者の限界労働生産性(労働者1人追加で増える生産量)を上回ると、企業は生産性の低い労働者を解雇し、雇用が減少すると考えられます。

 日本の製造事業所のデータを用いた分析でも、最低賃金の上昇は平均的に雇用を減少させ、特に中小工場では雇用が減る傾向が指摘されています。また、賃金上昇を吸収できない一部の企業は、市場から退出(廃業)する可能性もあります。

(3)「年収の壁」と働き控え

 最低賃金の引き上げは、パートタイム労働者が社会保険料の負担を避けるために労働時間を調整する、いわゆる「年収の壁」(例:106万円の壁、130万円の壁)の問題を助長するリスクがあります。
 時給が上がると、同じ労働時間でもより早く「壁」に到達してしまうため、扶養内で働き続けたい労働者は労働時間を減らす選択をするかもしれません。これは、企業の人手不足をさらに深刻化させる可能性があります。

(4)コスト負担の転嫁

 生産性が向上しないまま最低賃金だけが引き上げられる場合、そのコストは誰かが負担することになります。具体的には、以下のいずれか、あるいは複数が同時に発生します。

  • 企業収益の低下:企業が利益を減らして人件費を吸収する。
  • 労働者の負担:雇用や労働時間の減少。
  • 消費者の負担:商品やサービスの価格上昇。

 特に、賃金上昇分を消費者に価格転嫁できない産業では、雇用調整がより顕著になることが示されています。

3. 結論:多角的なアプローチの重要性

 政府が全国平均1,500円という目標を掲げ、賃上げの機運が高まっていることは、労働者の生活水準向上にとって重要です。しかし、最低賃金の引き上げが「貧困対策」として万能ではないという経済学的な視点は、政策の設計において非常に重要です。

 最低賃金は、パートタイム労働者の賃金格差縮小に一定の効果があるとの分析もありますが、その効果を最大限に引き出し、同時に雇用減少や事業所の退出、働き控えといった副作用を最小限に抑えるためには、多角的なアプローチが必要です。

 企業の生産性向上支援、「年収の壁」問題への対応、そして物価の安定や消費の喚起を通じた経済全体の持続的な成長など、総合的な政策ミックスが、真に労働者の生活を豊かにし、持続可能な経済を築く鍵となるでしょう。

 生産性アップを伴わない、強引な「法律の力」による賃金アップが社会を豊かにするのかというと、どうも疑問が拭えません。最低賃金に満たない生産性しか発揮できない労働者はどうなることやら…

参考リンク

厚生労働省「目安制度について」

2025年最低賃金は全国平均1,121円に、過去最大引上げ

※文書作成日時点での法令に基づく内容となっております。

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